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21世紀に世界経済を席巻すると言われるBRICs(ブリックス)4ヶ国。その中でも、世界第3位の経済力を誇るようになると見られるインドは、かつて滅亡を経験し、英国の長い支配の中で苦しみ続け、独立達成後も流血に苦しみ続けた国であった。そんなインドが、いかにして現在のIT大国としての地位を築き、21世紀への輝かしい未来への道を開いたか。独立の志士たちの苦しみと栄光、そしてインドの将来について、書いた。
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本文見出しの文頭04. インド独立と日露戦争

19世紀中ごろに革命(明治維新)を成功させた日本は、1877年に維新後最大・最後の旧既得権者の反乱である西南戦争において叛乱軍たる薩摩・私学校軍の鎮圧に成功、エリート主導の官僚専制国家としての道を歩みだす。


近代的国家として生き残れる経済・工業・政治的な力を持っているかどうかの試金石。日露戦争は、明治日本にとって、その場だけではなく、後世1000年にわたって独立を保てるかどうかの試金石であった。

それは同時に、内政と外交を混同してしまう日本の伝統から生まれた戦争でもあった。


エリート=旧薩長出身者による集団専制体制への反発は、自由民権運動となって吹き出るが、ときにそれは外交上の課題が内政上の問題の「てこ」として使われるという悪しき型を生み出した。


たとえば、西南戦争もまた、廃藩置県や廃刀令といった既得階級の特権・権威の廃止が、たまたま征韓論という捌け口を見つけ出したことによって加熱した国内情勢が生み出した日本国内での「内輪もめ」といっていいだろう。


とにかくも、ほとんど参謀本部の独走によって開始され、勝利した日清戦争(1894~1895)と違い、日露戦争(1904年~1905年)というのは開戦前から政府筋によって「日本の滅亡を招くもの」として忌避され続けた。


国内の開戦論とロシアの強圧的態度に追い詰められた日本政府は、たとえば政府系の新聞に避戦論を発表させるなどありとあらゆる手で戦争回避の道を探る。(憲法発布前なら、開戦論者を東京から追放するか、逮捕するところである。もっとも明治憲法下でも、15年戦争中は、逮捕・拷問は行われた)


帝国と呼ぶのも馬鹿らしいほとに小さな国である日本は、ロシアの強圧姿勢に助けられた国内の強硬派=民衆に引きずれるようにして、文字通り窮鼠猫を噛むごとむ開戦した。


戦争の経過に付いて触れることは、この稿の趣旨と違うため、触れない。

ただいえることは、日露戦争は政府の主観の上で祖国防衛戦争であり、国民の意識の上ではある程度の帝国主義的思想をもった戦争であった、ということである。


ともかくも、日本はその戦争に形の上では勝ち、文字通り世界の耳目を集めた。


それは、おそらくは近代史上初めて、黄色人種が白人・ヨーロッパ勢力に勝利を収めた戦争だった。


ロシア帝国の圧迫の元にある東欧諸国のみならず、欧州勢力の支配下にあるさまざまな地域で、今で言う「民族主義」のもとに、独立を願う運動が高まった。


インド国民会議が急進的な反英項目4ヶ条を採択したのは、1906年のカルカッタ大会においてである。もっとも、これは英国側の巧みな反撃によって、骨抜きにされてしまう・・・。



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