21世紀に世界経済を席巻すると言われるBRICs(ブリックス)4ヶ国。その中でも、世界第3位の経済力を誇るようになると見られるインドは、かつて滅亡を経験し、英国の長い支配の中で苦しみ続け、独立達成後も流血に苦しみ続けた国であった。そんなインドが、いかにして現在のIT大国としての地位を築き、21世紀への輝かしい未来への道を開いたか。独立の志士たちの苦しみと栄光、そしてインドの将来について、書いた。
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13. インドのIT産業と経済発展
インドは、いまや米国をはじめ世界のIT産業を牽引するいきおいでその人材を供給し続けているという。
いまや年間に15万人以上のIT技術者を輩出し、その人口は100万を超えるという。教育機関にしても、職業訓練校で約700、工科大学はおよそ100。
植民地時代から、インドのエリート層における教育熱は高かった。それは、インド革命の志士たちのかなりの部分が、裕福な階級・家庭に生まれ、イギリス本国で高等教育を受けていることでもわかる。
しかしながらイギリス統治下においてその国内産業は、一方ではイギリス工業のために資源を提供し、同時にイギリス製品の市場であることを強いられ続けた。
独立後のネルーの社会主義的な統制政策は、国際情勢と国内情勢をにらみ、長期的にインドを保護するためのものだったかもしれない。
パキスタンや中国との戦争・紛争、国内の宗教対立、重工業の欠如、増え続ける貧困層に、識字率の欠如、それらもろもろが重なった結果としての経済・国内産業の低調、外資導入の失敗・・・。
それらの問題を迎えてのネルー政権の国内的な第一目標は、教育の充実だった。教育の充実や識字率の低下こそが、国家発展の鍵であるというのは、まことに卓見といっていい。それに、教育には(すくなくとも工業・産業を育てるほどの)金はかからなかった。インド雌伏の時といっていい。
もともと、インドはゼロを発見した国であり、ほとんど哲学的な宗教である仏教の発祥の地である。まあ、それは措くとしても、この教育の充実の結果、コンピューター産業が世界で発達してきた80年代には、外国に人材を供給するようになる。そのころにはまだ、インド国内にそれらの人材を活用できる基盤が存在しなかった。
おなじ英語を話す米国がやはり一番の「人材輸出先」であったが、その他の国々も新世代のインド人たちは羽ばたいていった。
有名どころでは、あのマイクロソフト・ホットメールを作り上げたのも、インド人の起業家だった。(ただし彼のばあい、高等教育は米国で受けた。とはいえ、インド国内での教育基盤があったからこそ、米国大学留学にも成功したのだろう)
また、一時期は米国のH1-Bビザ(労働ビザ・米国に留学した人ならたいてい一度は目指したことがあるはず)の発行数の半分以上をインド人が占めたこともあるという。同じ英語圏であり、高い技術を要したインド人は、アメリカのIT産業をも牽引する約を果たした。
インド国内にはなしを戻すと、やはりまだまだそうした人材活用ができる状況ではなかった。カースト制度の影響もあった。社会主義的な半鎖国政策が、その役割を終えようとしていた。
90年代に起こった経済危機は、スリランカでの国内紛争が飛び火してのラディブ・ガンジー元首相の暗殺と重なり、インド独立以来の最大の危機といってもいいかもしれない。なにせ金が、逃げていったのである。外貨準備高は決済の2週間分で、これでは物が買えず、物が動かなければ、国内の金も動かないのである。結果として、2割以上の物価高というインフレが襲う。累積する財政赤字も重なって、デフォルト(債務不履行)寸前にまでいった。デフォルトは、経済的には国家の破産を意味する。
同時に、危機こそが改革のチャンスでもあった。
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